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Guest Essay

『レコード逍遥』
モヒカン
©HIBIKI TOKIWA
【本日のBGM】 RCサクセション / 指輪をはめたい(1983)

あたしの左手、薬指。

そこに納まる指輪をずっと夢見ていたけれど。

 

プレゼントは何がいい?と何度あなたに訊かれても、あたしは決して指輪とは答えない。

若い頃には、よくある恋人同士のペアリングを着けてみたくて、そんな想像もした記憶がある。 だけど。

いつかその指輪を外す時が来たら、どんな気分になるだろう。

それより先に、忘れっぽいあなたのことだから、どこかでなくしてしまうかもしれないでしょ。

あたしだって、うっかり排水口に流しちゃって大慌てしたりして。

他人のことなんか、とやかく言えないわよね。

ずっと昔、自販機のジュースがプルトップ缶ばかりだった頃のこと。

ボーイフレンドは神妙な表情を浮かべて、あたしの左手を掴む。そしてバャリースオレンヂを飲みながら、引きちぎったプルタブを、あたしの薬指に無理やり押し込む。

痛いから止めて、って言っても、彼は微笑みながらプルタブに手を添えて、オレからのプレゼントだよ、カネが貯まったらホンモノのヤツ買ってやるから、なんて囁くの。

そんなボーイフレンドが愛おしくて、気恥ずかしさに戸惑って、あたしは顔を赤らめた。

彼はデートのたびに、愛してる、と言いながら、あたしの薬指にいくつものプルタブをはめ続けた。日に日に増えていく指輪を、あたしは細いサテンのリボンに通してネックレスにした。

そして、彼に新しいガールフレンドが現れて、あっという間にその恋は終わった。

子供同士の可愛いお遊びだった。

 

いろんな恋人と付き合ったり別れたりしながら、あたしもずいぶん歳を取った。

上等の指輪を贈ってくれた男も、いなかったわけじゃない。全部ゴミ箱に投げ込んだから、今はひとつも残っていないけれど。

愛してる、という言葉は必要ない。

指輪も、もう要らない。

そばにあなたが居れば、何も変わらない。

あなたに再び会えるのならば。

それだけが、ひっそりと嬉しい。

​【本日のBGM】 憂歌団 / 10$の恋(1976)       

新橋駅前の古い雑居ビル。怪しげな事務所ばかりがひしめく中、看板のない美容室がある。

もう夕暮れ時なのに、寝ぼけ顔のスッピン、伸ばし放題の髪は絡まってボサボサ。今すぐ家に帰って二度寝したいけれど、私は今日も錆びたドアを開け、前払いの2000円を差し出した。

 

私みたいな並以下の女でも、髪を派手に結い上げて、素顔が全く分からない程の厚化粧を施せば、それなりにホステスらしくはなれる。

首から上は美容室で仕上げ、慌てて出勤する。店の貸衣装の数は限られているし、他の女の腋臭なんかで汚れたドレスの中から、なるべくマシな服を選ばなきゃいけない。

この世界に味方は居ない。全員、敵だ。強くて賢い者だけが生き残る。

銀座の下っ端ホステスは必ず肌色のストッキングを穿く。パンプスはヒールの高すぎないものを。流行りのナチュラルメイクなんて生意気なのはママに叱られるから、ベッタリと濃い口紅を引く。

身支度を終えて、一本だけタバコを吸う。仕事中のタバコが許されるのは売上の良い姉さんのみ、同伴さえ付かない私の役割は、低い丸椅子に姿勢良く座って、水割り作りにおしぼり配りに灰皿交換、あとはしこたま酒を飲み、微笑を保ち、ときどき会話の相槌を打つ。下手に客と仲良くしても、それはそれで面倒なことになる。姉さんの男を盗るわけにはいかない。

 

まだ浅い時間だからと油断していたら、見慣れない男がドアを開けて、店の様子をうかがっているのに気付いた。日焼けした顔に無精髭、シャツの裾はだらしなく色褪せたジーンズからはみ出している。

「二人なんだけど、いいか?」と言う男に、ウチの黒服は怪訝そうな表情で頷いた。暇な時間帯だし、太客が来る気配もないから、ということだろうか。

ご新規さん二名はキョロキョロしながら一番手前のボックスに腰を下ろす。よく見れば珍しいくらい風体の悪い男達だ。足元は白い靴下にゴムサンダル、黄ばんだキャップを頭に載せて、荒れた指先は黒ずんでいる。

「ヨシコさん」と黒服に呼ばれて、私は今宵の不運を覚悟した。さて、仕事だ。おそらく私ひとりで接客しなければならない。怯んでいる場合ではない。目一杯飲ませて適当に追い返す、それだけのことだ。

私は作り笑顔で、こんばんは、ヨシコと申します、と挨拶してからおしぼりを手渡す。すかさず黒服がドリンクのセットを運んでくる。ボトルは案の定、スーパーニッカ。私は心の中で舌打ちした。コイツらに何本入れさせるか、は私次第だ。

男達の舐め回すような視線に応えて、私はゆっくり脚を広げた。ミニスカートの奥がほんの少しだけ覗くように。水割りは濃い目に作り、私も頂戴してよろしいですか、と言いつつ、すでに三つのグラスは出来ている。そそくさと乾杯。試合開始だ。

「ヨシコかぁ。この店長いのか?オレらここ初めてだからさ。銀座なんて年に一度だもんなぁ。たまにはなぁ…」などとニヤつく男は安い酒を美味そうに飲む。見た目ほど扱いにくい客ではないのかも知れない。乾き物をつまみながら、どんどん飲む。ボトルはあっという間に空いていく。

「だいたいさ、オレら女と話すことなんて滅多にねえんだよ。なぁ!ヨシコちゃん!」酔いが回ってきたのだろう。私はふざけたふりで男達の真ん中を割ってソファのほうへと座り直し、双方の膝に手を置いた。こんな商売なのに私は口が重い。言葉を選びながら「お仕事はどんな?マッスル系かしら?」と控え目に尋ねてみた。

「マッスル系!何だよそりゃ?船乗りやってんだよ。遠洋って言ったら分かるか?ずっと海なんだよ。半年ぶりで陸に上がってさ、で、ヨシコに会いに来たんじゃん、ウハハハ!」

私は船乗りに会ったことがなかったから驚いた。大きな船なんだろうか、何かを獲るのだろうか。全然想像が付かない。話が続けられない。

「船乗りなんて知らねえだろ?こんなとこは金持ちしか来ねえもんなぁ。ハハハ!」

私は試されているような気分になって黙り込んでしまった。男はゲラゲラ笑いながら私の手を撫でている。

「オマエ無口だなぁ。苦労するだろ、この仕事。大丈夫か?」もうひとりの男が苦笑いしながら話しかけてきた。やはり私の手を撫でている。海の男の手は硬く乾いていた。でも別に嫌な気はしない。きっと二人共いろんな経験があって、私のことなど見透かしているのだろう。

詳しい仕事の話はしなかった。南洋の天候、夜の海の様子、たわいもないことばかり。二人は変わらぬピッチで飲み続けている。

三本目のスーパーニッカが空いて、すっかりご機嫌の男達は大声で黒服を呼び、テーブルに財布を放り出す。勘定を待つ間、私は肩を抱かれながら、熱っぽい口説き文句にも無口なままだった。 ついには「オマエさ、ちゃんと働いてくんだぞ。頑張れよ、な?稼がなきゃ仕方ねえだろ?」と真顔になった男が耳元で囁いてくる。説教される筋合いなどないのに、私も少し酔っているせいで、何だか情けないような、申し訳ないような気持ちになってしまう。

お約束どおり、男達をビルの外まで見送りに出た。

「えーと、ヨシコだっけ?また来るよ、半年後だけどな。覚えてたら、だけどな。じゃな!」

いってらっしゃいませ、と私は深く頭を下げた。

半年後までこの街に残れるかどうか、そんなことは自分にさえ分からない。

​【本日のBGM】 憂歌団 / 10$の恋(1976)       

【本日のBGM】 シュガー・ベイブ / いつも通り(1975)

金曜日、19時。古ぼけた喫茶店。私は一番手前の薄暗いボックスシートに腰掛けて、表通りのにぎやかな人波を眺めていた。

顔馴染みのウェイトレスが笑顔でアイスコーヒーを運んで来る。

 

「いらっしゃいませ、今日はおひとり?」

「いえ、待ち合わせしてる•••つもりなの、たぶん。」

テーブルの上のスマホは鳴らない。私はタバコに火を付けて、真っ黒な画面を見つめている。

ホットケーキ、食べたい。あなたが来るまで待とう。バターをまんべんなく塗って、メープルシロップはたくさんかけよう。蜂蜜もほんの少し足して。あなたもつまみ食いしたいでしょ。

ひと月遅れのバースデープレゼントは、ずっとバッグに入れたまま持ち歩いていたから、リボンが潰れかけている。直したいな、でも下手にいじって解けてしまったら困る。 このままでいいや。ネオンカラーの奇妙なリボン。

連絡は来ない。あなたはどこにいるんだろう。 ぼんやりとインスタグラムをスクロールしていたら、アップされたばかりの雑な動画が目に留まった。スポットはすぐそばのライブハウス。お前はあそこには絶対出入りするな、っていつもあなたが言うから、私は行ったことがないけれど。 粗くブレた画像の中、あなたは陽気な笑みを浮かべている。少し元気そうで安心した。

タイムリミット。もうここを出ないと、最終の新幹線に間に合わない。 私は重過ぎるキャリーを引きずりながら駅に向かって歩いた。

街は、いつも通り。

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